「一人づつ」や「二回づつ」の「づつ」。すに濁点ではなくつに濁点が正しいそうです。初めて知りました。づつが正しいと教えられてずっとそれを信じていたので。
で、それだけなら単に私の覚え違いなだけで済むのですが、調べてみると事はどうやらそう単純な話ではないようで。
「づ」ではなく「ず」が正しいと言いましたが、それは何を持って正しいのかというと、単に戦後文部省がそれが正しいと決めたってだけなんですよね。で、文部省は「ずつ」が正しいと決めたのですが本来の言葉の意味の成り立ちを考えると、これは間違っているわけで。
そもそも「づ」と「ず」の区別は元になった言葉を考えれば判断が付きます。筒(つつ)が濁ったから大筒(おおづつ)。綱(つな)が濁って手綱(たづな)。と言う風に。
づつは元々、ひとつ、ふたつ、と物を数える際の「つ」が重なって出来た言葉です。そうして出来た「つつ」の上に言葉が乗っかることによって濁音が付き「づつ」になります。なのにそれを「ずつ」と書いたのでは本来の意味を無視していることになります。
言ってしまえば文部省の教えはなんら根拠の無い出鱈目に過ぎません。「若者の言葉の乱れが……」なんてよく言いますが、教える側からして乱れまくっているんだから下の方が多少乱れたってしょうがないんじゃと思う次第。
ところで、国のやる事なす事全部反対の左翼系新聞。日頃の論調を考えれば「政府が勝手に決めたこんな変な言葉なんか使ってやるもんか!」って言っても良さそうなんですが、何故か誰よりも忠実に文部省の教えを守っているんですよね。不思議なものです。
前振りのつもりで書いたのに大分長くなってしまいました。本当は三国志大戦の事をメインに書くつもりだったのですがまた今度にします。
最後に一つ。「づつ」と「ずつ」に関して面白いと思った記事がありました。曰く最近では国が決めた教えを無視した「ひとつづつ」といった表記を良く見かける。言葉の乱れが進んでいる。けしからん、と。
いやはや、この場合乱れているのは果たしてどちらなのでしょう?